コラム

個人という考え方

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2世タレント・俳優の不祥事、残念ながらよくあるニュースである。

もちろん、2世タレント・俳優のすべてが不祥事を起こすわけではないですし、2世タレントではないからと言って不祥事を起こさないわけではないですが。

親が有名人だと七光りやお小遣いも違いそうなイメージですよね。

そして日本でこういったことが話題になるたび、親であるタレントや俳優の方が謝罪をしています。とっくに成人を迎えているのに親が謝罪をし、活動を自粛するのが日本。

 

欧米だと、親は謝罪をしないし、『人として社会復帰には惜しみなく援助をする。』なんていうコメントになり、活動を自粛するなんて考えがないし、それが要求されることはないのだとか。

個人や社会に対しての考え方や捉え方の違いをとっても感じます。

 

日本が開国したことにより個人主義という考え方が入ってきた。というような説を聞いたことがあります。

確かにそれまでの日本は家族が単位。

それが基本で、長い間ずっとその考えが浸透しています。

開国後に入ってきた‘個人=パーソナル’という概念は実はあまり浸透をしていないのかもしれません。

なんせ開国してからの方が圧倒的に短い時間なので。頭では個人主義だ!と思っていても細胞レベルでは家族単位という概念が抜けていない、本当に個人主義を理解できていないのかも?そんなに簡単に変わらないし、変わってはいけない部分もあるので、難しい!!

 

さて、介護に関してもやはりなかなか個人主義とはいかないものです。

そこには考え方や習慣、個人の思い等様々なことが絡み合ってもいますが、やはり家族なのです。

一人の人間として生きて死ぬ。

そう思いたいのですが、残念ながらそうはいかない現実があります。

天涯孤独で誰も親族もいないとなれば別ですが、基本的には手術の同意も、介護サービスを利用するにも、亡くなった後のことも誰かにしてもらわなければならないのです。

 

個人として、責任をもって生きていきたい。

と、私個人としては考えています。

それでも、法律や制度成り立ちは家族がいること、家族がすることが前提となっているのです。

個人主義という概念が入ってまだ2世紀経っていない日本。

様々な時代を経て、家族の在り方も、個人の考え方も変わってきていることも多くありますが、普遍的に変わらないものもあるのです。

 

変わらないのではなく、変われない、変えられないことも多くあると思います。

それでも未曾有の長寿社会。

問われているのは個人の生き方、考え方、人生観そんな哲学的な側面もあるのではないでしょうか?

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