コラム

当たり前のサービスを使えない

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こんなにも簡単に人の生活が変わるとは、正直に驚きを隠せない。

頭では理解をしているし、新たなウィルスの脅威の報道を見るたびに、木を引き締めなければならないと思ってはいたけれど、世界が空港を閉鎖し、行き来出来ない、まして通勤ができず、子供は学校にも通えない等今まで経験したことがない生活を今まさに送らなければならない状況である。

普段にできていたことができなくなるということは人のアイデンティティさえ平気で脅かされる。また、今まで見ずにすんでいた、もしかたら自分でさえも知らなかった一面を知ることになることさえある。

季節がよくなり、行楽や旅行を楽しめるシーズンに自粛により移動を伴う活動を制限されるということは残念である。

けれど私たちはこのウィルス、そしてこれからまた出てくるであろうウィルスと戦わなければならないのだ。

介護のことを考えるとこの外出できない状況、施設の運営されない状況というのは、当たりまえの生活ができなくなるということであり、心身に及ぼす影響は計り知れない。元気な人が運動をできない状況も深刻だが、活動範囲が狭くなっている高齢者にとって、生活を脅かす状況になるのだ。施設だけではなく、頼りにしていた在宅を支えてくれるサービスが利用できなくなるのだ。

ただでさえ人手が足りないと言われている業界にさらに感染による閉鎖や三密を避けなければあらない状況により、一度に介して行う活動はできない。今まで経験がないだけに、サービスを提供する側にもしてもらう側にもノウハウがなく、どうしていいのかわからないのも事実である。

在宅での介護を支える活動をしているが、訪問ができない状況を加味してつくられているサービスはないと言って等しい。

そう遠くない将来にロボットが介護現場で活躍することになる日が来るとは想像していたが、人が直接に介護をできない状況を考えたことがなかったのだ。

 

仕事は外に言って行うもの、という概念も簡単に変わってきている。業種によっては在宅が当たり前になってくることもある。近代社会において行われてきた仕事と生活の場が一緒になってくると、それまで受けられていたサービスが受けられなくなったり、介護休暇・休業の在り方も変わってくる可能性がある。

 

このままこの状況が終息をしない限り、当たり前に受けられるサービスが受けられない状況が長く続くことも懸念される。

意思の疎通が難しくなった人をどうやってウィルスから守り、かつ当たり前の日常を続けていくことができるのか。当たり前の日常がなくなるということは介護を必要としている人には大きなリスクとなるのだ。

 

新型コロナウイルスは誰もが感染し、重症化するリスクがある。

気をつければかからない病気ではない。介護する側もされる側もどうしたら感染しないのか、感染しても認識していない場合もある。世界が直面している大きな混乱に人の生命を維持するということがとても困難で難しいことを痛感してる。

 

まずは一日も早い終息を祈り、できうる限りの対応を全力でするしかないのではあるが。

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