〇今の高齢者は前例を見ていない
きっと今、親が老いてきている姿や介護をしている私たちにとって老いを受け入れることはあまり難しいことではないかもしれません。
とはいえ、正直、まだ高齢という世代になったことがないのでわかりませんが。
それに比べて今、高齢の方は自分たちの親世代では経験したことのない年齢を生きているのです。
親世代よりも長く生きているので初体験の連続、想像もできないことが多いのではないでしょうか?
子世代である私たちが年老いた親の介護をすることは、それはそれで大変なことです。
祖父母の年代では80歳まで生きていれば十分に長生きだったのですから。
私たちが子供のころは100歳を迎える方は稀で最高齢の方も100歳を少し超えたぐらいだったと思います。
当時住んでいた区では100歳を迎えた方には区長がお祝いを持って訪問したと、区のニュースにで見た記憶があります。
そんな時代に自分たちの親を介護し、見送っていた世代。
老いる、ということのスピードが前よりも遅くなったとはいえ、これほどに老いと向き合わなければならない時代、に生きていることを自覚できていないのではないかと思います。
老いるということは、脳が委縮し、体が思うように動かなくなり、視野がぼやけたり狭窄していくこともあるでしょう。
じわじわと進んでいる老いをどれほど理解できるのかはわかりませんが。
〇誰か助言してあげてください!
病院等で年老いた奥様がとても歩行が難しい旦那様を必死で歩かせている姿を目にすることが多くあります。
杖、シルバーカー、車いす等を使えば転倒のリスクも減るのではないかと冷や冷やしながら見ていますが、第三者なので口出しも手助けもできかねるのです。
きっとケアマネージャーさんや家族等からそういったものの使用を進められているのではないかと思うのですが、利用には至らないのかもしれない、介護保険という制度を利用していないのかもしれない。等考えるのですが。
こういった事例は少なくないのです。
受け入れられないことに関してはどうにもすることができないのです。
少し前まではできたことが、少しづつできなくなったり、病気、手術、副作用等様々な理由からできなくなっていくことが増えていく、それも老いなのです。
〇話はそれますが、
『介護あるある』だと思うのですが、年老いた旦那様に奥様が付き添ていることはよく見かけるパターンです。女性はたいてい一人で来るか、子供さんが付いてきているパターンが多いのですが。余談でした。
〇老いを受け入れる
老いを認めて、老人らしくしなければならないということではないのです。
老いるという事実を受け止め、少しでも自分の持っている機能を活かして行くことを考えることが大切なのです。
誰しも老いる、老けるなんてことは認めたくないことです。
それでも、長年使っている身体です。もろくなっているところだってそれなりにあるでしょう。
それらとうまく付き合っていくためにも、自分のことを自分でできる時間が長くなるよう、老いを否定するのではなく、
『そんなもんかもしれない。できないこともあるけれど、こうすればできるようになる。』
昔と同じことを望むのではなく、できることを見極めることで老いを凌駕できるだけのアイディアが出てくるのではないでしょうか?
不老不死はあり得ないのです。
永遠の若さもあり得ません。
ないものをねだり、老いを否定するのではなく、今を少しでも生きやすくすること、少し先のリスクを軽減するためにどうしたらいいのか、という考えることが大事なのです。