コラム

父介護:2005年秋から2014年春

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2014年4月下旬、父は長い在宅での介護の末、享年80歳で永眠いたしました。
4月の上旬の入院まで、何度も入院を繰り返してはきましたが、ここ2,3年は寝込むこともありましたが、好きなものを食べて、飲んできままに過ごしていました。

父が旅先で倒れたのは2005年のもうすぐ神在月(※)になる秋の半ばでした。島根県の石見銀山に近い友人の家に遊びに行った時のことでした。もともと心臓はあまり丈夫な方ではなかったのですが、原因は大動脈解離でもう危ない。とにかく今日中に来いと連絡が入ったのです。

それから約10年。ずっと、「いつどうなってもおかしくない。」と言われながら在宅で介護を続けてきました。本人は在宅での生活を望んでいましたが、私たち家族が在宅での介護を希望していたというのは、言い難いものがあります。父の年齢や病状等から、それしか選択肢が無かったからともいえます。

この10年間は徐々に体も脳も機能は落ちているけれど、認知症とは違う。多臓器の機能が悪く、介護を受けながら生活している状況で、体のあちらこちらが悪すぎながらも、微妙なバランスで何とか生かされている…らしい。で、どうしたらいいのか、という問いかけにはお医者様も、ケアマネさんも、訪問看護の方も、とりあえず今のままでは病院にも、施設にも入れない。だから在宅で、そんな状況での介護でした。

最後は病院で亡くなりました。在宅では治療ができないほど、体に水が溜まり、一度入院をして治療をお願いしようと家族で話し、訪問看護士と在宅治療の先生にお願いをして入院させていただきました。入院の次の日に原因不明のくも膜出血をおこし、意識不明となりましたが、数日後意識が回復し、数日は家族とも会話ができましたが、19日後息を引き取りました。

父が倒れた時、私は30代初めでした。友人の多くは子育てや祖父母の方を親御さんが介護しているということはあっても、親の介護ということはあまりなく、福祉が専門で、介護関係の事業所での勤めの経験があっても、愚痴る相手や自分の人生やキャリア、介護のすべてを総合的に一緒に考えてくれるところはないものかと何度も思いました。父親の看取りまでいろいろありました。経験やキャリアをふまえ、皆様のお役に立てればと思っています。

これからも少しずつ、経験をふまえたことを書いきたいと思っています。
※旧暦10月。全国の八百万(やおよろず)の神々が出雲の国に集まる月。
他の土地では神様が留守になるので神無月といいますが、出雲大社のある島根県では神在月と呼ぶそうです。

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